死の受け入れ方

この夏、大好きな祖父が亡くなった。
それからもうすぐ100日が経とうとしている。
仮通夜、通夜、葬儀、初七日、命日、四十九日
そういったお別れする、区切りとなるような儀式を過ごして来た。
しかし、まだ受け入れられないし悲しみが癒える事は無い。
どうしてもう会えないんだろう。
どうしてもっと会ってなかったんだろう。
頭の中で声は聞こえるのにどうして実際には聞こえなんだろう?
もっと話しておけば良かった。
お出かけしてれば良かった。
どうしてもう一緒に過ごせないんだろう。
何故と後悔の渦に飲み込まれそうになる。

悲しみが癒えて欲しいと思う一方で悲しみが癒えてしまうのが怖いと思う気持ちもある。
悲しみが薄れたからと言って祖父のことを忘れるわけではないのに
悲しみと共に祖父が遠くに行ってしまうような気持ちにもなってしまう。

memento mori
死は誰にでも訪れる

一人で生まれて一人で死ぬのだと思うと、今まで出会った人、これから出会う人
この瞬間瞬間、すべての人、すべての事が愛おしく思える

どのように人の死を受け入れていけばいいのか、受け入れ方はわからない
しかし今生きているのだから、死ぬまで生きていかなければならない

反省することはあっても後悔しない日々を

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