2018-03-29

帰国しました!

いつも帰りは泣きそうになるほど寂しくなる。
最後はテルアビブで2泊して
いつものLevinsky cafeでコーヒーを飲んでいると
みんなが えー、もう帰るの? とか もう住めばいいじゃないの!とか
Benyに至っては、ビザの心配までしてくれて あのビザだったら取りやすいんじゃないの?とか仕事はこういうのもあるよ、とか
テルアビブだったら西岸にもバスで行けるし行ったり来たりしたらいいよ
と引き留めてくれる。

今回の旅のメインは
Apo&the Apostles のライブとパレスチナマラソン
どちらも大満足に満喫。

巡った場所のあれやこれやはこれからアップしていきます。

遊んでくれてみんなありがとう!

2018-03-26

Palestine Marathon

3月23日パレスチナマラソンだった




ろくすぽ練習もせず本番に臨んだわけです。
さすがに完走する自信もなく、事務局に10kmに変更できないか?
問い合わせもしたが、もう登録されてるので無理です、との回答。
ですよね。

そして本番。わたしは公式TシャツとMaiちゃんのアフリカンショートパンツと
ともちんのカリフォルニアベイブのレギンスで身を包みレースにスタート地点のマンガースクエアに向かう。



大勢の人、世界各国から西岸地区から7000人 もの人が参加。
スタート前のステージではアラビア語と英語での演説、アラビア語なんてわからないのに
(マイクを通した英語も聞き取りにくい)パレスチナの自由を!みたいなことをみんなで
一致団結している感じは鳥肌ものだった。



はっきり言って涙が出た。これだけの人がパレスチナが好きで(みんなが大好きかはわからないけど)パレスチナ解放のために走る!
集団で瞑想すると早く瞑想状態に入ることができるように、みんなの気持ちが伝播したと思う。
Freedom of Movement  この大会のコンセプトだ。
ここベツレヘム出身のアラブアイドルの歌があったりするお祭り模様。
運営はパレスチナ、想像通りグダグダだった。

いつの間にかスタートし、とりあえず走り出す。
マンガースクエアを抜け坂を下り、分離壁の方に向かう。
そしてAida refugee camp 鍵のモニュメントをくぐり子供達も迎えてくれる。




バンクシーホテルことTHe walled off hotelの前も走った。
わたしの泊まっているDeheishe refugee cmapmも。
チェックポイントのそばを駆け抜け、
監視台からイスラエル兵が見えいるところで、We love Palestineと歌いながら走る人たちも。


なんとか21キロ3時間弱で走りきった。


 21キロはわたしにとってかなり大変だったけど
この一体感と子供達の声援やハイタッチが励みとなりなんとかやりきった。
そして一緒に走ったはじめましての色んな国からのランナーたち。
みんなパレスチナが大好きだね。



2018-03-19

ベツレヘム Deheishe Camp再訪

たまたま知り合った若い日本人の女の子が
ベツレヘムの難民キャンプを見学したとのことだったので
お連れしました。

お連れすると言っても69年もある難民キャンプなので
もはや村。
エルサレムからベツレヘムのバスの中でこの国の歴史や
このキャンプのできた経緯、エリアABCの件など
できる限り説明し
あとは歩いて見て感じることは彼女次第。

歩ける距離で物価が全く違ったり
クリニックの建物に日本の日の丸があったり
今回は中にも入れてもらい日本のステッカーや日本支援のもの
他国の支援のもの。
自国のものを見ると胸熱!税金払っててよかったと思うし
こういった国の行為によってこの国や他の国でも日本のパスポートで
ビザなしで旅行できて、日本人というだけで歓迎されることがあるので
現地で尽力されている方には本当に感謝です!
このクリニックは第二次インティファーダの頃にでき、このキャンプの前を走る
ヘブロンロードでの衝突で怪我した人たちが運ばれ緊急手術し
助かった命も多数あるそうです。


その後、生誕教会に行くと工事がだいぶ進んでいた。
そしてイースターが近いのですごい人。

最後はマジックアワーの素敵な時間でした。


2018-03-17

Apo ant the Apostles

東エルサレムのBorderline Barでの
Apo and the Apostlesのライブ!日本でYouTubeで見てかっこいい!と
家でも聞いていて今回のタイミングでライブに!!
前日まで頭痛くてどうなるかと思っていたけど
エルサレム症候群? 頭痛は治まり高揚感だけが残る。
事前に彼らのページに予約やチケットは必要なのか問い合わせをしていたのだが
ただ来ればいいから!との返事。
夜9時からと記載があったので8時50分に行くも、もちろん始まらないよ。だってアラブだもの。
9時半くらいからライブは始まり来場ファンたちも各国から来ていた。



 アラビア語でも英語でもフロアは盛り上がり 踊り叫ぶ!
最高の夜でした!



ライブ後はアフターパーティでAPOがDJをして
会場の外庭でメンバーたちと談笑するわたし。
みんなわたしが日本から来たという驚きと喜びで歓迎してくれた!
みんなが思うほどわたしにとってエルサレムは遠くないよ。しかし安くはない。
行ってよかったし、みんなかっこよくて一緒に談笑してたファンと思しきgirlsも
写真撮りなよー!って言ってくれて
楽しい1日となりました。





ナブルスでのこと

早朝、エルサレムを出発してナブルスに向かう。
自治政府のある、(日本の代表事務所:大使館)もあるラマッラを経由する。
アラブバスには乗り慣れている。
東エルサレムのバス停からチェックポイントを通過してラマッラ。
バス降りてすぐ左の大きな駐車場から各地へのバスが出ている。
そこで大声でナブルス!と叫んでいる人を探せばいい。
アラビア語が読めなくても(読めた方が楽ではあるが)みんなが声出して目的地を
示してくれるのでバスに乗り間違えることはほぼない。今のところない。

ラマッラでナブルス行きの小さめのバスに乗り換える。
そこからシティセンターまで直行する。

ナブルスは山が近く空に手が届きそうな気持ちになる。
シティセンターの雑踏はいかにもアラブの町だし、どこかアジアに通じている気もする。
目の前にオールドシティの入り口。
オールドシティにある宿に荷物を置いて待ち合わせ場所に向かう。
Ameenが待ってくれているはずだ。


九大に留学しているAlaaの友人だ。初めましてなのに、すぐに打ち解け
Ameenは失恋の話までしてくれた。笑
元カノが結婚したらしい。彼曰く、彼女は愛よりお金を取った、と。
本当のところは彼女に会ってないからわからないけど、実際結婚するには
男性が女性の父親にお金を持参しなければならない、それが大金なのだそうだ。
これは彼女を買うというのではなく、父親を経由し彼女に渡るらしい。
花嫁道具やら揃えるのだろう。

Ameenとその弟とカナーフェを食べに行った。オールドシティの有名なところ。
いつものおじさんたちはそのまま少しだけ年をとり
味はそのままこってりあまあまだった。

Sama Nablusへ行き、WestBankからは近くて遠い地中海が見える。
見えるのにわたしはすぐに行けるのにここに住む人たちは行けない現実を実感。




Alaaのいとこに会いに行ったり、実はイスラエルの軍事基地を見学しようとしてたのだけど
もちろん入れず(入れるけど撃たれる!)
Ameenの自宅へ行ってママと大好きな鳥グリーンと対面。

家にはその彼女は来たことがないらしい。
彼のママは英語ができないのでわたしたちは英語で彼女との思い出話をする。
まだ未練はあるみたい。
どの国でもどんな状況でも恋があって失恋して傷ついて・・・そんなことがあるよね。

2018-03-15

ハイファに戻って

ガッサーンカナファーニのハイファに戻って
去年読んだ本の中で最も心に深く残っている。
彼の出身地であるアッコに行った。
アラビア語ではアッカー。

ナブルスの友達、アミーンのおじいちゃまは実は
アッコ出身だ。
アッコの戦火を逃れてナブルスに来たのだ。
ナブルスのバラタキャンプにもハイファやアッコから逃げて来た人たち、その子供や孫たちが今も暮らしている。
近くの入植地から嫌がらせがあることもある。

物語の世界から、ハイファに戻ってがより私にとってもより身近な現実的な話としてまた深く
身に染みている。

ナブルスからアッコに向かう。
まずはバスでジェニンに向かう。
そしてそこからアフラ。しかしそこにはボーダーがありそれを越えないといけない。
ジャラミチェックポイント。
2年前、このチェックポイントから西岸に入ったことはあるが西岸からイスラエル側に入るのは初めてだった。
どのチェックポイントもだが、西岸からイスラエル側に入る方が厳しい。
ジェニンからチェックポイント行きのバスに乗り換える。継ぎ接ぎのアスファルトで車が揺れる。チェックポイント少し手前の駐車場で下車し荷物を抱えトボトボ歩く。一緒に超える人たちはイスラエルに残ったアラブ人たち。
彼らはイスラエルパスポートとパレスチナ人であるというI.D.を持っている。
チェックポイント、嫌な気持ちになる。




細い警備通路から入って行く。
写真はここでギリギリ。




中は迷路のように広いようだが先が見えない。そして以上に天井が高い。
ここから荷物検査が始まる。空港のと同じような装置だ。
検査している人はこちら側からは見えない。
私の前に一人、その後ろにも一人並んでいる。
順番に荷物を機械を流し込む。
  
私の前に並んでいたアラブイスラエル人は髭剃りを西岸で買っていた。
その事で尋問を受けている。
私の荷物が出てくる、わたしも行く。
顔が半分見えるか見えないかくらいのガラス部分がありそこから話をしていた。
ふと人の気配。
上は通路が張り巡らせ、いかついマシンガンを携えたイスラエル兵が見回りをしている。

わたしが荷物を抱えようとしていると、ガラスの向こうから声がした。
ちょっと、あなたコンピュータある?それとカメラ?見せて!
急に声かけられて驚いた。しかし、アラブイスラエル人はまだ終わっていない。
彼は頭上にいるイスラエル兵からも何やら問いかけられている。

わたしは自分のMacBookとカメラをカバンから出し見せて次のステップへと進んだ。
もう一度荷物検査と身体検査だ。
また上から右腕にマシンガンを抱えたイスラエルだ。
そこに立って。
両手を上げろ。
そして一周回って。
オーケー、ゴー。

いくつものレーンがあるが人がいない。
広いので全部を見て回った訳ではないが。
上からまた声がする。
ゴーデア、と向こうを指差す。
彼の指す方向へ行くと頑丈そうな小部屋に人がいた。
最終チェックだ。

パスポートを出す。
どうして?どこに?と矢継ぎ早に質問される。
ナブルスにカナーフェ食べに。
そう答えると、急に検査官の顔色が変わった。
僕もカナーフェが好きだ。
✳︎美味しいは正義!
行っていいよ。
最後はあっけなかった。わたしには。日本人だから。
イスラエルパスポートがあってもアラブ人にとってはかなり大変な検問通過。

チェックポイントのメインビルから少し離れたところが出口となる。
そこには友達や家族を待ち構える人、タクシー。
バスに乗ろうとバス停に向かう。
バスを待っていると1台の車が近づいて来た。
ナザレ?
ノー、アフラ!
オーケー。乗って。同じ方向だから。バスは中々来ないよ。

思いもよらずヒッチハイクとなった。
陽気なおじさん2人組。

西岸に行ったの?
そうよ、ナブルスに行ってた。
カナーフェ食べた?
もちろんよ!
ナブルスと言うと必ず出る会話。

助手席のおじさんが言った。
僕はパレスチナ人、で、彼はユダヤイスラエル人。
でも友達なんだ。

これも1つの現実。



2018-03-10

ナザレ

テルアビブからナザレに行った。
詳しくはまた書きたいのだが
ナザレはイスラエル。みんなイスラエルのパスポートを持っている。
そこで出会った人々との会話は何気ないものも実はとても深かった。



宿のオーナーにアラビア語で挨拶をすると
目の色を変えて喜んでくれた。
イスラエルと比べてパレスチナの方が若干物価が安いので(そして通貨は同じ)
ジェニンに買い物に行くことがあるらしい。
同じナザレに住む ユダヤ人は行けないらしい。
彼のママはジェニンの近くで働いているので毎日のようにジェニンで買い物をしているそうだ。

パレスチナ支援のアソシエーションの人
壁一面にパレスチナを自由に!のような絵やスローガンが書かれいたので
聞いてみた。
壁を見る観光客がパレスチナについて関心を持つように、とのことだった。
イスラエルの人口の20パーセントがパレスチナ人(アラブ人)
そして500以上の村々が壊滅し奪われたこと
難民となり近隣諸国に逃げた人たちが帰ってこれないこと
内容はそういうことだった。

魚レストランのオーナー夫妻とそこで働いている人たち
ヨルダン川の魚かーと思いつつチラ見したらコーヒーを飲んでくつろいでいるおじさんたち。
手招きされるも会釈して立ち去ろうとするとお店から出てきて
コーヒー飲んでいきなさいよ!とお邪魔することに。
小さいカップに濃ゆいアラブコーヒー。
カナーフェ食べたことあるか?
そう聞かれると、うちの妻のカナーフェは中東一美味しいから!
ぜひ食べてよ!
おーい、カナーフェ持ってきて!そう奥様に呼びかけ
熱々のカナーフェが。
君はもうファミリーだよ!と言われる。
翌日はオーナーの友達のユダヤ人がお昼にやってくる。ネタニアの豪邸に住んでいるらしい。なぜキッパもかぶっていない彼がユダヤ人だとわたしがわかったのかと言うと
オーナーのこの言葉。
”彼はユダヤ人なのにいいやつなんだ”
まさに、聖書のよきサマリア人を思い出した。
そしてお魚料理のご招待を受けました。



三者三様の人々と接してふと思ったことは
ユダヤ人のおじさん以外はイスラエル建国前に両親や祖父母が住んでいて
イスラエル人ではなかった。
彼らのパレスチナに対する思いや自分のアイデンティティーをどう昇華させているのか?
そしてイスラエルに対する思いやユダヤ人に対する気持ち。

ナザレにはユダヤ教徒・キリスト教徒・イスラム教とが住んでいる。




2018-03-08

テルアビブ1日目

テルアビブといえば
仲良くしてもらっているベニーのカフェに行く。
アレンビーストリートからレビンスキーに向かう、そんなに美味しくはないけど
いつも話しかけてくれてたまにパンのおすそ分けをくれるパン屋さんが入ってた
建物が工事中でなくなっていたり、
いつも通りのバスターミナルだったり
実は1年ぶりとテルアビブ。ベニーと会うのも1年ぶり。
1年前のパレスチナ・イスラエルは2週間程度で濃ゆい感じだったのを思い出す。

3月は初夏。日に日に気温は上がり動ける季節がやってきた。

レビンスキーのスパイスマーケットを抜けるといつもと変わらない光景
そしていつも通りベニーが迎えてくれた。

おかえり! コーヒーでも飲みなよ!

スタンドでおしゃべりしている女性2人。

わー、久しぶりね!常連さん。お互い名前を知らないのだけど顔見知りで
1年ぶりというのに声をかけてくれる。

後から来る常連さんもみんなそう。

いつ来たの?おかえり いつまで?
と口々に歓迎してくれる。

そんな温かいテルアビブが大好き!

テルアビブを歩いていたユダヤ人の街だなーと思うのは建築。(カテゴライズは好きじゃないけど)
ヤッファに行くとアラブを感じる。モスクもあるし、教会もある。何より石造りのハニー色。

テルアビブはこの100年の間にヨーロッパから渡って来たユダヤ人たちの作品とも言える。
風抜ける並木道、バウハウス、カフェ、元は砂漠だったのだから。

道を歩いていてもよく行くお店の店員さんたちは一瞬驚いた顔をし
そして笑顔で久しぶりね!おかえりと声をかけてくれる。
嬉しい瞬間。

2018-03-05

テルアビブに向かいます!

今福岡空港国際線のラウンジ。
早めに着いたので休憩中。
目的地は香港経由のテルアビブ。
毎回のことながら、旅前は憂鬱。
なぜなんだろう。
楽しいことしか待っていないのに。

 何より旅が大好きなのに不思議です。

帰国後はイベント盛りだくさんなので
イスラエル・パレスチナで英気を養うとする。

◎イベント情報◎
4月7日   五感で感じるパレスチナ チャンダンカフェ  
4月1日   報道されないイエメンの今 あいれふ福岡  
3月31日 "マルシェと音楽を楽しもう"-来春-ライハ-「OHAYO MARKET」 
3月30日 春のパレスチナ料理 in あやめ


2018-03-02

お疲れ様でした!

ラブFMのTENJIN UNITED3月で終了。
なので今日の放送がわたしにとって最終回。
ボビーは話しやすくて素人のわたしをいつもいい感じにリードしてくれて
初回から楽しく話ができました。

今日のテーマはベツレヘム。
イエスキリストの生誕の地。3月23日、パレスチナマラソンでこの地を走るので
この場所を今日のテーマにしました。
世界遺産で観光地で歴史を感じることもできるけど、悲しい分離壁にはUKアーティストの
バンクシーの絵が、そしてその壁の近くに去年できたホテルは the walled off hotel by banksy

ボビーはわたしのことを
世界を旅して海外が好きな人と思っていたけど
海外に行くことで日本を知り、日本人であるという自覚が強く思っているということに
感銘を受けたと言ってくれていました。

国内外旅をすることでいつもと違う空気、人との出会いによって起こる自分の中の
化学変化が自分のオリジナルを作る要素だと思う。
それが多くの人、多くの場所、移動距離でより複雑な化学変化そしてオリジナリティーが
爆発すると思う。
そんな旅が大好き!
旅人代表としてラジオのお仕事が出来て嬉しかった。
好きを続ける好きを極めていくと何かにつながるね!

 

この夏

イギリスのウィリアム王子がパレスチナ・イスラエルを訪問する。
両国とも歓迎している模様。

そもそも・・・・
パレスチナ問題の発端はイギリス。
1915年フセインマクマホン協定(アラブ人にオスマントルコからの独立を約束)
1916年サイクスピコ協定(パレスチナの地をイギリス・フランス・ロシアで分けよう)
1917年バルフォア宣言(パレスチナにユダヤ人の国を作ろう)

今さら過去のことをとやかくいうのも違うのだけど、時代も違うし
当時は植民地が普通だった、世界大戦もあった。
そして21世紀になった。
時代は変わったけど、事実は変わらないし争いは終わらない。
そしてイギリス怒!って思っている人もまだいる。だって20世紀を生きた人たちが
まだまだいるんだから。
そんな中、イギリスの王子が来訪するなんて!!
アメリカが中東仲介役が無理になった今、日本もだけど大国が積極的に関わって
少しでも前進してほしいところ。

わたしもまた夏に行けたらいいな。
あ、その前に月曜に出発しますがね。

2018-03-01

そして今日から3月。
1年というのはあっという間
そんな言葉毎年言っているのだが
3月は日本だと年度末。
確定申告も終わったしやりたいことは山ほどあるのに
見てしまうyoutube、大掃除したいのに本を読んだり、写真を見たり
これは性分なので仕方がない。
ネットがないと不便だけど、あっても捗らない。
それもこれも寒さのせいにして
新しい月が始まって
5日には飛行機に乗ってテルアビブに向かう。
旅の準備も全くできていないけど、それはどうにかなるとして
なんだろう、このぽっかり感。
きっとパレスチナが埋めてくれるはず。
中東の強い太陽がね。

◎イベント告知◎
3月30日 春のパレスチナ料理 inあやめ
3月31日 ohayo dome パレスチナ料理 in 糸島
4月1日  報道されないイエメンの今 in あいれふ福岡
4月7日  五感で旅するパレスチナ in チャンダンカフェ
4月27日 エルサレム時空を超える旅パレスチナ in六本松蔦屋書店




春の嵐

このところ、風が強い。
昨日の夜は雷がきらめいていた。

心は落ち着いているようで、落ち着いておらず
ふわふわというよりそわそわ
どうしたものかと思う。

昨夜は大雨の中、うまい噺で
カレー王子ちひろくんと
すき焼きを食べた。

高校生がどんなものが好きかはわからないけど
高校生が行かない場所に行ってみたくなった。

帰宅しても雨風で窓がカタカタ鳴り
たまに光が入ってくる。

心身ともに落ち着かず寝付けずそれは音だけのせいではないように感じた。
春の嵐のせいかもしれない。

雨が降る、気圧が変わる、血圧が変わる。そんなところだろう。