Deheishe Refugee Campに泊まる

きっと中々行く機会もましてや泊まる機会もないであろう難民キャンプ。
この数年、パレスチナに通っているうちにできたお友達が
ベツレヘムのデヘイシェ難民キャンプの人で泊めてもらうことになった。

難民キャンプと聞いて頭に浮かべるのは、今逃げてきたばかりの人たち向け(数年経っている場合もあるが)のテントだと思うが
パレスチナ難民は70年前のナクバ(大惨事)イスラエル軍がやってきて土地を追われたところから始まっている人が多いため
難民キャンプも元々はテントだったのが少しずつ様子を変え、家が建ち、今は小さな村のようになっているところがほとんどだ。
このデヘイシェもそう。
このキャンプは1949年にできたものでエルサレムやヘブロンから逃げてきた人たちが
住んでいる。
 
なんども訪ねているこのキャンプに泊まるのは初めて。
そんなに仰々しい話でもない。だって村なのだもの。
しかしながら、外国人を嫌う人もゼロではない。
食うに困らないとはいえ、もう70年も難民生活をしている。
元々いた家には帰れていない。自分の子供や孫が本当の家を知らない。
それは国際法上違反と言いながら入植地は広がり自分たちの権利は全く戻ってこない
その状況から国際社会に自分たちは無視され続けていると思っている人もいるということだ。
友達一家は本人たちの努力と運とで海外留学をしたり、事業を起こしたりと
それなりに裕福な暮らしをしている。
しかし難民なのだ。自宅に戻れていないから。



彼らの家は坂の上の2階建の石造り。決して新しくはないが庭にはオリーブ、オレンジ、レモン、フィグ、ミント、セージなどパレスチナを象徴するような植物で溢れている。
屋上はソーラーパネルと水タンクがあり 太陽の力でお湯を沸かしている。
庭側と反対は隣家とも近く外の道路はとても狭い。
夜遅くにはイスラエル兵の騒音の嫌がらせもあったり。



わたしの友人は小学生の時、キャンプ内にある国連の学校に通ったそうだ。
パレスチナ国旗を掲げたところ、イスラエル兵がやってきてあっという間に包囲された
恐怖が今でも忘れられないと言っていた。たかが国旗、小さなこどもなのに。

庭には頻繁に猫がやってくる。食べ物にありつけることを知っているし
怖がりもしない。
わたしたちはマクルーベを作り(ひっくり返す炊き込みご飯)猫たちに
おすそ分けをした。

家の中にいるとここが難民キャンプであるということははっきりって感じない。
しかし、彼らの心の中には近くて遠い故郷がずっとある。




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