全ては無であるということ。

別に何かを悲観しているわけでもなく、ただ感じたことなのです。
九州大学の飯嶋先生の比較宗教学のレクチャーを受け
密教(仏教)の儀式の話を聞き
思い出したのが、三島由紀夫の豊饒の海
その中でも天人五衰。
天人五衰は仏教用語なので当たり前といえば当たり前なのだが。

この小説の最後の最後で本多は聡子と再会する。
そして聡子は清顕を知らないという。

レクチャーの時に思い浮かんだのはこのシーン。はっきりと。

全ては無であると思った。

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